日本の食卓を変えた、400年の歴史をもつ波佐見焼。
長崎県で唯一、海のない波佐見町は、山間にある小さな町。
佐賀県との県境にあり、総面積は56㎢。人口は約15,000人で、窯業を主な生業としています。
波佐見焼の起源は約400年前に遡ります。
今日では波佐見焼といえば白磁をイメージされますが、開窯当初は“土もの”の陶器を生産していました。
その後、村内で陶石が見つかり、次第に磁器の生産へと移行していったのです。
江戸時代、「くらわんか碗」と呼ばれた波佐見焼は、丈夫で割れにくく手頃な価格で手に入る食器として流通。
それまでは芸術品として親しまれていた焼き物が、庶民向けの日用食器へと変わっていきました。
日本の食卓の風景に変化をもたらした波佐見焼は今もなお、暮らしに合わせて変わり続けながら、私たちの日常に寄り添っています。
高品質かつ大量生産を可能にする、“分業制”というチームワーク。
波佐見町でよく見かける、焼成前の生地を長い板に載せ、ゆっくりと走る車たち。
その出発点は生地屋、行き先は窯元です。
大量生産を得意とする波佐見焼では、窯元が全てを手がけるのではなく、それぞれの職人が役割を担う分業体制によってつくられています。
工程は大きく3つ。
「型屋」が器の形の“石膏型”を製作し、その型を使って「生地屋」が素焼き前の生地をつくり、「窯元」で絵付けから焼成までを行います。
どこが欠けても成り立たないこの仕組みが、波佐見で暮らす人々から感じる温かな一体感を生んでいるのかもしれません。
波佐見焼を支える職人たち
型屋
窯元などから持ち込まれた設計図やサンプルをもとに、何もないところから器の原型となる石膏型をつくる。土の特徴を把握し、焼成した際に発生する縮みや歪みを考慮して型をつくらなければならない。依頼主のこと、器の使い手のことを熟慮した末に、最良の型が生まれる。頼りになるのは、長年の経験で培われた手先の感覚とデータ。
生地屋
型屋がつくった石膏型を使い、器の基本となる生地をつくる。泥漿(液体状にした陶土)を型に流し入れて成形する「鋳込み」や、型を回転させながら土をのばす「機械ロクロ」など、つくる器に合わせて様々な方法から選ぶ。機械による大量生産が主流ではあるが、数ミリ単位の繊細な作業のため、随所で手作業が必要とされる。
窯元
生地職人がつくった生地を商品に仕上げる。絵付けはもちろん、焼成の工程にも技術と経験が必要で、器を均一に焼き上げるために器の積み方を調整したり、その日の天候や風をみて焼成の温度や時間を調節する。
器だけで満足しないで。自慢の「美味しい!」もいっぱいあります。
山々に囲まれ、ホタルが生息するほどの清らかな川が流れる、豊かな自然に恵まれた波佐見町は、陶器の“陶”と農業の“農”を合わせて“陶農のまち”とも呼ばれるくらい、実は農業も盛んなところ。
澄んだ空気ときれいな水によって育てられた農産物は、とても美味しいと評判です。
全国にファンを持つ鬼木の棚田米をはじめ、水稲は町内全域で栽培されており、県でも有数の穀倉地帯となっています。
その他、アスパラガスや梨、お茶なども名産品。
そんな素材の良さを生かした農産加工品もおすすめです。
もちろん、米と水が良いので、味わい深い銘酒もあります。
また、おしゃれなカフェから、ボリュームたっぷりの定食屋さんまで、グルメも充実。
地元の食材をふんだんに使った料理を味わえる飲食店もあり、お腹を満たしながら、波佐見町の魅力を食でも堪能することができます。