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2021.4.6

敏彩窯 |小林巧征さん

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

自らの経験を生かし、多様性のある新たな道を拓いていきたい。

波佐見焼の窯元「敏彩窯」の器は、鮮やかな藍色の絵付けが印象的です。
特に人気なのは、美しいブルーの濃淡で表現された花々やリンゴの絵柄。
手描きならではの生き生きとしたタッチで、器を彩っています。

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

敏彩窯でご両親と従業員の松尾珠美さんと共に働いている巧征さん。

小林巧征(こうせい)さんは、お父様が創業した敏彩窯を手伝いながら、個人作家としても活躍中です。

「波佐見焼は石膏型を使って大量生産します。敏彩窯の器もそのようにつくっていますが、僕個人のものは、一枚一枚ロクロをひいて作陶しています。
おそらく、一般的な『陶芸家のイメージ』そのままではないかと。
石川県で修行をしていた時、デザインからロクロ成型、焼成、絵付けまで全部一貫して行っていたので、波佐見でも同じようにやっていきたいと思いました。
ロクロでつくった方がしっくりと手になじむ感じがするので、手間はかかりますが、一つずつ手作りしています。」

波佐見ポートレイ|敏彩窯・小林巧征さん

小さい頃から絵を描いたりモノをつくったりするのが好きだったという巧征さん。
ですが、家業を継ごうという意識はなく、高校生の時までは、インテリアデザインなどの空間をつくる仕事がしたいと思っていたそうです。
有田工業高校のデザイン科を卒業し、福岡にある造形短大の陶芸コースで2年間学びました。
大学でインテリアデザインを含め、さまざまな分野の勉強もした上で、やはり陶芸の道へ進むことに。
卒業後は、石川県にある九谷焼技術研修所で2年間、九谷焼の技術を勉強したのち、2014年に「九谷青窯(くたにせいよう)」へ入社。
九谷青窯は、独自のスタイルをもつ、全国的にも珍しい窯元だそう。
そこで約4年の修行を経て、2018年、波佐見に帰郷しました。

なぜ、石川県の九谷焼を学びに行かれたのでしょうか。

「父の勧めです。修行先に関しては、特にこだわりはありませんでした。
もしも益子焼の窯元を紹介されていたら、行ったのは栃木だったかもしれない。
どこであっても、結局やるのは自分ですから。

九谷青窯では、全国から若い人が集まって、波佐見焼のような分業体制ではなく、それぞれが個人作家のように、自分でデザインを考え、土を練り、ロクロをひいて、絵付けをし、器をつくっています。
社長の秦さんは面倒見の良い方で、人を育てるのが上手なので、そこが合うんじゃないかと父は考えたみたいです。」

修行に入るといえば、指示された通りのものを何年もひたすらつくっていかなければならないイメージだったのですが、そこでは入社してすぐ、自分のオリジナル商品もつくるように求められたのだとか。
こんな会社は日本中を探してもなかなか無いのではと、巧征さん。

この九谷青窯に行ったことは、とても良い経験になったと言います。

「外に出てみることが大事だとは思っていましたが、ここまで自分の考え方が変わるとは予想していませんでした。本当に勉強になりました。

社長に言われたことでよく覚えているのが『作品じゃなくて、商品をつくれよ』という言葉。
見た目だけでなく、いわゆる『用の美』について、しっかり考えさせられました。
そうした教えが、今の自分のものづくりの核になっています。

また、『食器なんだから、食べ物をのせるところまで考えないと』という指摘も。
最初は器単体でしか見ていませんでしたが、料理が盛られて完結するんだと気付きました。

それから、『うまいもんを食え』とも言われましたね。
器の勉強だけじゃなくて、料理も知りなさい、と。」

技術面については先輩たちが指導してくれて、社長さんは「焼き物の本質」といった精神面について、さまざまなことをアドバイスしてくれたそうです。
しかも、ゆくゆくは家業を継ぐつもりだと分かった上で、育ててくださったとか。

「面白い社長で、『食っていける作家』を育てようと考えていて、むしろ会社を出て独り立ちしなさいという方なんです。
入社5年以内に出ていく人が多かったと思います。毎年、誰か辞めて、誰か入ってくるという感じ。
当時の先輩で、今、伊万里にいる方もいます。
そうやって、社長に師事して考えを学んだ人たちが全国各地に散らばっているので、これからもっと面白くなってくるんじゃないでしょうか。」

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

波佐見に戻ってきてから、大変だったこともあるようです。

「九谷青窯にいた時と同じようにつくっても、やはり、土も呉須(ごす)も釉薬も異なるので、まったく違う雰囲気になってしまいました。
だからと言って、九谷の土を取り寄せるのではなく、僕はその土地にあるものでつくりたいんです。
向こうで築き上げた作風を、波佐見の素材に合わせて再構築しなければならず、そこは苦労しましたね。」

九谷青窯時代のファンの方は、波佐見に戻ってからの作品の変化を受け入れてくださったのでしょうか。少し心配になったのですが、それは杞憂に終わりました。

「これも社長の教えなのですが、『器を見て、作家の顔が思い浮かぶようなもの』をつくりなさいと。
特定の絵柄だから判別できるのではなく、その佇まいから、つくり手が分かるような器。
そうした『自分のカラー』を出すようにと教わりました。
なので、当時と違う商品をつくっても『巧征さんの器っぽいよね』と分かってくれて、好きだと言ってくれる方がいらっしゃるので、ありがたいですね。」

モチーフは、身の回りの自然から絵になりそうなものを探して、デザインに落とし込んでいくことが多いのだとか。

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

一つ一つに施された、手仕事のぬくもり。
物腰柔らかに語る巧征さんの穏やかな雰囲気そのままの器は、日々の食卓に優しく馴染んでくれそう。
「このお皿にはどんなお料理が映えるかしら?」と、想像するだけでワクワクします。
また、立体的な模様の器は、繊細な陰影がとても美しく、白一色なのに表情豊か。
つい手にとって、様々な角度から、いつまでも眺めていたくなりました。

巧征さんの作品は現在、主に東京のショップで取り扱われているそうです。

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

──お仕事のやりがいを教えてください。

「自分の器を使ってもらうことが、やっぱり一番のやりがいですね。
今はSNSで、その様子を知ることができますので。お客さんが、きれいに料理を盛り付けて撮った写真をインスタなどに載せてくれているのを見ると、とても嬉しいです。
器が使いやすいといった感想をもらえると、つくった甲斐があったなって思います。」

──今後のビジョンや目標は何ですか?

「波佐見焼の特徴である、分業によって高品質のものを量産していく方法も良いのですが、僕がやっているように、すべて自分で手作りする若い作家さんも増やしていきたいなと思っています。
波佐見でも、いろんなやり方ができるよってことを、自分の創作活動を通して伝えていきたいですね。

実際、作家として食べていくって、なかなかハードルの高いことなんです。
どうしても途中で挫折してしまう人が多い。
作家としてデビューしたものの、売れなくてバイトばっかりしているという方もいます。

ですから、作家を目指す人たちを集めて、一緒にうまくやっていける仕組みづくりができれば…と。」

まさに第二の「九谷青窯」を波佐見につくりたいと考えていらっしゃる巧征さん。

「社長が特殊な方なので(笑)、なかなか難しいことではあると思うんですけど。

学生の時、僕よりも良いものをつくる人って、たくさんいました。
それなのに、やっていく環境が無いために諦めている姿を見て、すごくもったいないし、寂しいなって感じていたんです。
自分は家が窯元で、道具も全部揃っていて、とても恵まれていましたが、そうじゃなくても、陶芸を志す人たちが活動していける場があればいいなって、当時から思っていました。

個人では小さい力でも、集まってやれば、もしかしたらなんとかなるかもしれない。
それに、一つの窯元にいろんな雰囲気の器がある方が、面白いなとも思いますしね。」

これから波佐見の焼き物の世界は、ますます多様性をもって広がっていきそうです。
新しい道を拓いていこうとする姿が楽しみで仕方ありません。

静かな山あいに佇む、敏彩窯の工房。とても居心地の良い場所です。
木がふんだんに用いられ、天井も高く、広々とした室内は、まるで山荘のよう。
周りの環境が作品づくりにも影響するからと、巧征さんのお父様がこだわり抜いて、2008年に建てられたそうです。
きれいに整理整頓されて空気も清々しく、ここで仕事をするのは、さぞ快適だろうなぁと思いました。

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

お父様の晴敏さんに、巧征さんを修行に出された時の思いを少しお伺いました。

「波佐見焼は今、全国にその名を知られるようになりました。
ですが、一過性の流行で終わらせないためにも、若い時にいろんな技術を学び、さまざまな経験をして、その上でセンスを磨き、自分にしかできないものをつくっていかなければならないと思っています。

私はこの道40年になりますが、周りの人たちから育ててもらったという感覚なんです。
やはり、一人では上達できません。

自分が家庭の事情で修行に出ることができなかったからこそ、彼には外の世界を見て、いろいろな刺激を受けてきてほしかった。
九州の窯業とは異なる産地の『匂い』は、やはり現場に行かないと分かりません。
彼が九谷青窯で感じたものを持ち帰ることで、新しい感覚の波佐見焼の商品ができれば良いなと思ったんです。
そして、自分が身につけた技術を、今度は他の若い人たちに教えて、一緒に成長していってくれたらと願っています。」

波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん 波佐見ポートレイト|敏彩窯・小林巧征さん

──私の波佐見のイチオシ!

「この工房から山の方に向かって『三股郷(みつのまたごう)』という地区になります。
僕は自然の中にいるのが好きなので、豊かな自然がある三股郷がイチオシの場所です。
波佐見はどこも自然環境に恵まれたところですが、自分の中では三股郷が一番。
猪や猿もいるし、工房の横を流れている小川には魚が泳いでいて、数え切れないほどの蛍も見られます。
川沿いに続いている道を散歩するのも良いですよ。
両側を山に挟まれて、途中にポツンポツンと家があって。ここが本当に好きなんです。
自然の中でぼーっと過ごしていると、机に向かっているより、アイデアが湧いてくることもありますね。」

工房の住所としてはギリギリ永尾郷になりますが、行事などは三股郷の地区に参加されていたそうです。

ここは昔、陶石が採られていたところで、江戸初期から昭和40年代頃まで採石が続けられた「三股砥石川陶石採石場」や「三股青磁窯跡(推定操業年代:1630〜1650年代)」などの国史跡もあります。

私も実際に歩いてみましたが、緑とせせらぎの中、時間もゆったりと流れているようで、とても気持ちの良い散歩道でした。
途中で「三股天満宮神社」に立ち寄ってみると、素晴らしい天井絵が。
2019年に改修した際に、この地区の人たちで描いたそうです。

波佐見ポートレイト|みつのまた天満宮神社 波佐見ポートレイト|みつのまた天満宮神社 波佐見ポートレイト|みつのまた天満宮神社 波佐見ポートレイト|みつのまた天満宮神社 波佐見ポートレイト|みつのまた天満宮神社

天井画の中央部分に描かれた梅の花や文字はお父様の作。黒一色で描かれた鶴の絵は巧征さん作。

*2021年2月インタビュー
*撮影の時のみマスクを取っていただきました。

敏彩窯

長崎県東彼杵郡 波佐見町永尾郷2235
TEL/0956-85-2157
敏彩窯のFacebook
小林巧征さんのInstagram