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2021.3.31

美のり窯 |松﨑康則・久美さん 2/4

代々農業をされていましたが、お父様が生地工場を作られたそうです。
ところが、康則さんは高校卒業後、継がずに家を出て、長崎市の造船所に就職しました。
「外の世界を見ないと、井の中の蛙になってしまうかもしれないと思ったし、会社勤めをしてサラリーマンになりたかったから。若かったしね。」

そこで、奥様の久美さんと出会います。
久美さんは、軍艦島が見える野母崎町(現・長崎市)の出身。
神戸でアパレルの仕事をしていましたが、実家の薬局を手伝うため、長崎に戻っていました。

結婚を機に波佐見へ帰郷し、生地業を始めます。
「戻るつもりはなかったんだけど、ちょうどオイルショックもあったし、やっぱり自分は長男で跡継ぎだから。家も田んぼもあるしね。」
型屋さんがつくった石膏型を使い、ローラーマシンや機械ロクロ(水ゴテ)といった製法で、陶土を器に成形し、窯元へ納めています。

生地業だけでなく、自分たちでも焼き物をつくりたいと考えるようになり、ロクロや絵付け、焼成などの技術を勉強。
「モノになるまで長くかかったし、いろいろ大変でした。
どんなしてやってきたんだろかなって思うくらい。今でも悩みながらやっていますよ。」

久美さんは、未経験の生地業で、最初は機械に触るのも怖かったといいます。
それでも、3人の子育てをしながら、長崎県窯業試験場(現・窯業技術センター)にも通いました。
もともと絵を描くのが好きなこともあり、楽しかったそうです。

お二人が勉強をされていた頃の作品を見せていただきましたが、とても緻密で繊細な絵付け。
これが基礎なの!?と、思わず驚嘆しました。
康則さんは1993年の「ながさき陶磁展」に出品した「染付つわぶき絵皿」でNHK賞を受賞。(第1部・デザイン部門)
久美さんは1996年に「ながさき陶磁展」へ出された「つる草白抜文皿」で長崎新聞社賞を受賞されています。(第3部・伝統的工芸品産業部門)

夫婦で腕を磨き、その努力が実って、現在は生地業と作家活動、2:1くらいの割合で行っています。

「絵付け教室で勉強するのは、古典的な植物の絵柄や、七宝や青海波などの地紋。
でも、そうしたモチーフをいくら上手に描いたところで、売れるかと言えば、話は別問題。
多くの人は、今の世の中に無いもの、個性的なものを探し求めている。
だから、直接小さい窯元を訪ねて来るんですよ。
私たちはそういう人をお客さんにしたいから、独創的なものをつくろうと思っています。」

波佐見ポートレイト|美のり窯