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2020.2.22

絵描き |ウラベメグミさん 1/5

“生地屋”と“絵描き”のクリエイティブな二足のわらじ。
自然体で気負わない、軽やかな次世代の生き方。

波佐見町出身のウラベメグミさん。
家業の「ウラベ生地」で働きながら、絵描きとして活動しています。

アトリエは、生地屋の工房の2階。
焼き物の運搬などに用いる “皿板” が壁に貼られた階段を登っていくと、まるで秘密基地のような楽しいスペースが広がっていました。
ここは、30分早く生まれたという双子の姉、彩子(さいこ)さんと二人の部屋でもあります。

アクリル絵の具で描かれたウラベメグミさんの作品のほか、さまざまなものが置かれた色鮮やかな空間。
キッチンスペースはバーカウンターになることも。
この居心地の良い部屋に、たくさんの友人たちが集まってくるというのも納得です。

波佐見を出て、福岡へ。

子どもの頃から絵を描くのが好きだった彼女は、佐賀県立有田工業高校のデザイン科へ進学。
そこで、ポスターや広告などの平面作品から、グッズや製品などの立体作品、そしてCGやWEBデザインなど、ジャンルを問わず “ものづくり” のデザインを学びます。

しかし、その頃は特に、家業を継ぐことは考えていなかったのだとか。
高校を卒業後は福岡へ行き、看板屋さんに就職。

「基礎の図面を引いたり、ロゴのデザインをしたりしていました。
病院や専門学校の室内サイン・ピクトサインをデザインしたことも。
働きながら、プライベートで絵もずっと描いていました。グループ展なども何度か開いて。
看板屋さんには3年ちょっといましたね。」

東京での刺激的な日々。

福岡にいる間に、ゆくゆくは波佐見に戻ろうと決めたそうです。
その前に、もっと絵を描く活動を思い切りしたいとの想いが募り、上京。
アルバイトで生計を立てながら、ギャラリーで個展を開き、イベントやフェスでライブペイントをするなど、活動の幅を広げていきました。
彼女の作品は、福岡県糸島市で開催される音楽フェスティバル『Sunset Live 2011』のポスターにも採用されています。

「あの絵、実はダンボールに描いたんですよ。紙がなかったので(笑)。」

アルバイト先は、西麻布のおでん屋さんや、ホテルのお寿司屋さんだったそうで。

「自分のやりたいことをやるためだと割り切り、アルバイトは時給の良いところを選んでいました。
でも、思いのほか飲食店での接客業も面白くて。美味しいものも知ることができましたし。」

器と料理は、切っても切れない関係。飲食店で働いた経験は、生地屋という仕事にも生かされているのではないでしょうか。

「確かに。お寿司屋さんなど、有田焼や波佐見焼の器を使っていることも多かったですしね。
アルバイト先の方とは現在でも繋がりがあって、器を買いに行きたいと相談を受けることも。一緒に何か面白いことができたら良いなと思っているのですが……。」

東京での生活は、とても刺激的で楽しいものだったようです。

「本当は2〜3年で帰るつもりだったのですが、気がついたら6年も。
たくさんの出会いがあり、さまざまな経験もできて、貴重な時間でしたが、それでも今は、やはり波佐見に戻ってきて良かったなと感じています。」