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2020.2.22

絵描き |ウラベメグミさん 3/5

答えがないから面白い。

絵を描くことだけでなく、生地屋の仕事も楽しいと言う彼女。
具体的に生地屋さんとしては、どのようなことをしているのでしょうか。

「私は母と一緒に、圧力鋳込みの作業をしています。」

*「圧力鋳込み」とは、石膏型に圧力を加えながら泥漿(でいしょう:液体状にした陶土)を注入して成形すること。

「仕上げ組が3人いて、その1人が双子の姉の彩子です。
姉は去年、オーストラリアに行っていて、また語学留学に行く予定で。
その間は私が仕上げの方も回さないといけないので、ちょっと大変になるのですが、そこは母にも手伝ってもらいながら。
ですので、一通りの作業はできます。」

「焼き物は化学なので、何か失敗した時は、その原因や改善方法などを研究していくんですけど、それが意外と面白くて。
長崎県窯業技術センターに持っていって調べてもらったり、自分たちでもいろいろと考えたりして。
まだ私は知識も技術も全然で、やっとほんの少し分かってきたぐらいなのですが、その難しさに、だんだんと面白さを感じてきているんです。
焼き物って正解がないというか、終わりがないなって。」

*「長崎県窯業技術センター」は波佐見町にある、陶磁器をはじめとするセラミックス専門の公設試験研究機関。「肥前国(ひぜんのくに)」と呼ばれた時代から伝統地場産業として発展を遂げた、陶磁器製造が盛んな長崎県ならではの施設。

継いでほしい、とは言われなかった。

生地屋の仕事については、波佐見に戻られてから修行されたんでしょうか?

「そうです。他の生地屋さんでも、継いでいる人たちはだいたい、戻ってきてから修行をしていると思います。

両親もあまり『継いでほしい』というようなことは言わないんですよね。
波佐見の生地屋さんはどこも、そういうところが多いかもしれません。
親から『絶対に継ぎなさい!』と言われたというような話はほとんど聞かないです。
むしろ『自分の好きなことをして良いよ』と。

父たちの世代は、世の中の流れが大きく変わって、良い時期もすごく悪い時期も経験しているので、経済的にもすごくきつかったと思うんです。
この仕事は『博打と一緒』というような言葉を聞いたことも。
だから、生地屋を継ぐことを親が勧めるところは、なかなか無いんだと思います。」

波佐見焼はこのまちの基幹産業のひとつなので、安定職かと思っていました。

「そんなことはありません。祖父や父たちの年代は義理人情に厚く、そのために損得勘定なしで働くようなところもあって。
そういう人間関係も大事ですが、これから私たちが続けていくなら、しっかりと先を見据え、時代に合わせて変えるべきところは変えていく必要もあると思っています。
いつまでも親がいてくれるわけではないですし、従業員さんたちと一緒にちゃんとやっていけるようにシステム化を図り、もっと勉強もしなければなりません。

なので、今は生地屋の方に力を入れて頑張る時期だと考えています。
絵の方は焦らずに、長い目で見てやっていこうと。