Issue 2023.12

Issue 2023.12

デザイン塾で制作する、テーマ自由のオリジナル冊子。受講生4名の学びの成果をご紹介。

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2020.4.12

塾長の「最近どうよ?」

彌永裕子 Yuko Yanaga|デザイン塾24期生 2/3

Kibiruで「ひろかわ新編集」のメンバーたちと集合写真。

新しい場所をイチから作る。

──どうして広川町の地域おこし協力隊に?(塾長)

「大学で仕事をしながら、学内の工房を借りてアーティスト活動をしている内に、制作の活動拠点や人が集まる空間を作りたいと考えるようになりました。
それで、筑後の方へ帰ろうかなと思っていたところに、広川町がものづくりスペースを作る取り組みを始めるという話を聞いて。
地域を知り、つながりを作ることができるのでぴったりだなと思い、デザイン塾を卒業した次の年に広川町へ。

そこで、広川町の地方創生事業プロジェクト『ひろかわ新編集』に参加。
久留米絣で有名な織物の産地らしく、ファッションやテキスタイルをキーワードにした、ものづくりのスペース『Kibiru』の立ち上げに携わりました。
どんな場所にするかというコンセプトの企画や仕組みづくりから、物件を探して空き家なども見に行ったり。
ミシンなど、ものづくりに使用する機械も、ターゲットを考え、想定されるものを予算内で準備したり。
ハード面とソフト面、一から作り上げることに携わることができました。

実際に地域おこし協力隊として活動しはじめたのは、2017年の4月からで、任期は2020年3月までになります。
この制度は最長3年までで、その間に何かビジネスを始めるための起業準備にも充てる、という感じです。

2018年5月には『Orige』という広川町初のゲストハウスもオープンしました。
ここは宿泊施設であり、移住相談の窓口でもあります。
絣などを見に、いろいろな人が町に来ているけれど、滞在できるスペースが一個もなくて。
また、どの自治体も今、お試し居住などを行い、移住定住に力を入れているように、広川町でもそういった施設の必要性を感じていて。
そこで、町で使ってない空き家を募集して、Origeができました。
滞在が可能になったことで、長期的に何か一緒に制作などができる人を外から招く、アーティストレジデンスの企画なども行えました。

現在はkibiruなどを運営しながら、布を染めたり織ったり、テキスタイルやファッション、絵を描くことを軸に、アーティストやデザイナーとして活動しています。」

Kibiruを拠点に開催した「ひろかわ産地の学校」。久留米絣やテキスタイルに興味のある人たちが集まり、久留米絣が織られる現場を見学したり、繊維のことを学んだり。

Kibiruのオープニングイベントの様子。広川で織られているコットン生地でカットソーを作るワークショップを開催。町内外からいろいろな人が集まり、服を自分で作るという体験をしてもらえた。

デザイン塾には、さまざまな人たちがやってくる。
現役のクリエイターから、Macを触ったことのない主婦までいる。
でも、大半の人がデザイナーになりたい人だ。
ひと昔前までは、デザイナーとして仕事をするなら、デザイン会社や印刷会社、広告代理店などに所属するか、フリーランスしか道はなかった。
でも今は、いくつもの選択肢がある。
最近では、社内に制作室があるところも多い。デザインを外注せず、自社で行っているのだ。
昔は自社で制作をやっているのはパチンコ屋さんくらいだったのに。(古すぎか…。)

彌永ちゃんがやっている「地域おこし協力隊」も、デザイナーの選択肢のひとつと言える。
下手なデザイン会社に入るより、ずっとクリエイティブで自由に感性を生かすことができる。
しかも、そこでの経験や人脈を生かして、その後の自分の仕事も作っていける、一石二鳥の仕事なのだ。
デザイナーを志す若い人たちに、ぜひおすすめしたいと思う。

フリーランスに必要な“人間力”。

──地域おこし協力隊をして良かったことは?

「まずは『人が集まる空間を作りたい』という夢が叶ったこと。
KibiruやOrigeなど、町の外からも人が来て立ち寄り、何かを作れるような場所ができたおかげで、今までに無かった人の流れが生まれたことは、面白い経験でした。
それから、ここに来るまで全く知らなかった、地域や久留米絣のことをたくさん知ることができました。

幸いにも、町内のほとんどの人と友達だという、顔の広い方が臨時職員で入ってくれて。
自分たちに同行して、たくさんの人と繋いでくれたんですよ。
普通は、知らない人に対して警戒するじゃないですか。
でも、その人のおかげで、畑を借りたいとか、空き家を探しているとか、『こういうことをしたい』という希望がどんどん実現できたんです。
自分も、人とコミュニケーションを取るのが割と好きなので、楽しかったですね。」

ひろかわ新編集の恒松さん(右)と富永さん(左)と、久留米絣の反物を手に。

僕は若い頃、よくクライアントとケンカした。良くも悪くも、とがっていた。
自分がデザインするものが一番だと思い上がっていたし、フォントひとつ変えられたくなかった。よく人とぶつかった。
今になって振り返れば、バカな争いをしたもんだと思う。
もっと謙虚に穏やかにコミュニケーションをとっていれば、もっと高みに登れていた(はず)。
そんな当時の僕だったら、絶対に彼女のような仕事はできない。
自分の我を押し通すようでは、とてもじゃないが務まらないからだ。
彼女は意志が強いけれど、無駄な“とがり”はない。
そういう人間性が、フリーランスでやっていくには、実はもっとも大事な要素かもしれない。
ニコニコと話す彼女を見て、こりゃデカくなりそうだなと、ひとり頷く僕だった。(よく食べていたし…。)