Issue 2023.12

Issue 2023.12

デザイン塾で制作する、テーマ自由のオリジナル冊子。受講生4名の学びの成果をご紹介。

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2020.4.12

塾長の「最近どうよ?」

彌永裕子 Yuko Yanaga|デザイン塾24期生 1/3

デザイン塾も10年続けていると、卒業生の近況も随分と変わってくる。
転職したり、結婚したり、子供が生まれたり…と、さまざまだ。
もう福岡にいない人や、日本を飛び出してしまった人さえいる。
僕の4、5年なんて大した変化はないけど、若い人たちの人生は、たった1年でガラリと大きく様変わりしていることもある。
卒業後、彼ら彼女らがどうしているのか、ちょっと訪ねて聞いてみることにしよう。
昼飯でも一緒に食いながら、「最近どうよ?」的なノリで。

2019.10.15 和食乃沙都使(福岡県八女郡広川町)にて

彌永ちゃんがうちの塾に来たのは、2015年7月。もう4年も前のことになる。
入塾した時の彼女は、某大学の職員をしていた。
古着をオシャレに着こなし、自分のビジョンをはっきりと言葉にしていたことが印象が残っている。
初見から「この子は面白い」と思っていたが、その後の活動もまさに個性的で彼女らしい。

福岡県筑後市出身の彌永ちゃん。現在は広川町に住み、地域おこし協力隊をしている。
広川町といえば、久留米絣の産地。
ちょうど久留米絣の仕入れに行った際に会う約束をした。(F_dでは久留米絣を販売するWEBショップも運営している。)
午前中は一緒に久留米絣の織元さんを訪ね、その後、昼飯を食べながら話した。

デザインに“説得力”を持たせるために。

──入塾当時のことを教えてくれる?(塾長)

「大学の芸術学部美術学科で染織工芸を学んだあと、もう少し大学に残りたいし、ファッションの勉強もしたいし、どうしたら良いですか?と先生に相談したところ、『大学で働いたら?工房も使って良いよ』と言われて。
何か仕事があるか聞いたところ、大学に女子学生が2割しかいないので、その数を増やしたいと。
そこで、女子学生がこの大学に来て良かったと思えるようなことをやろうということになりました。
女子学生だけが使える部屋を作って管理人をしたり、就活の時に『こういうプロジェクトをして、こんなことを頑張りました』と自己PRできるよう、企業との橋渡しをしたり。」

──そういう、まだぼやっとしているものを形にすることが得意なんやね。

「確かに、もう出来上がったものよりも、自分でゼロからやることにすごく興味がありますし、好きですね。

その時に、東京でwrittenafterwardsというブランドをやっているファッションデザイナーの山縣良和さんが主催するファッションを学ぶ学校にも行っていました。
山縣さんが月に一度福岡に来て、それぞれが作ったものをみんなで講評したり、ファッションとは何か?を考えたり。
糸島の胡蝶蘭農家のビニールハウスの中や、お寺で授業が行われることもあったし、ゲストに内田樹さんや養老孟司さんといった全くファッション専門外の人が来て一緒に考えるなど、面白い学校でした。」

──なぜデザイン塾に行こうと?

「大学の仕事で、フライヤーやポスターをたくさん作ったのですが、独学でやっていたので、説得力が足りなかったんです。
何も知らない人に『なぜ、こういうデザインにしたのか』を納得させられなくて、悔しいなと。
『これはこういう理由でこうしたんだ』と説明できるような知識を得たいと思って、デザイン塾に通うことにしました。
文字の詰め方やQ数なども知らなかったので、授業で習って『なるほど!』となりました。」

──でも、彌永ちゃんのデザインは基本、フリーハンド系のデザインやもんね。絵を描くようなデザインだから、レイアウトじゃないんだよね。

「性格上、ミリ単位の緻密なデザインとかはできないんですよ。
もともと絵を描くのが好きっていうのが一番最初にあるから、絵なんですよね。

小さい頃から、絵を描くのが好きだったんです。
久留米に住んでいた祖父が、学校の先生をやりながら油絵を描いたり陶芸をしたりという作家活動もしていて。
現在もう100歳近いのですが、久々に会ったら『100歳まで絵を描く』と言っていて、すご!と(笑)。
その祖父の家でよく陶芸をしたり絵を描いたりしていました。
幼稚園の時に、白い小さなトトロの箸置きを作ったら、家族がめちゃくちゃ喜んでくれて、それがとても嬉しくて。学校などでも絵を褒められたりして。
それで、高校もデザイン科に進んで、ずっと絵を描いたり、ものを作ることが日常にある生活でしたね。」

僕はずっとデザインの仕事をしてきて、フリーになったのは20歳の時だから、もうかれこれ30年以上やっていることになる。
スタッフも何人か育ててきたし、いろんなクリエイターも見てきた。
僕が人のことを言える立場でもないが、「世に出てくるであろう人」と「これはかなり難しいだろうな」という人は、だいたいわかる。雰囲気で感じる。
彌永ちゃんはもちろん、“世に出てくる人”である。

“世に出てくる人”には、どんな能力や魅力が必要か?と問われると、なかなか一言では語れない。
要領が良いことも、逆に悪いことも、見方によってはどちらも魅力になる。
謙虚さも大切だが、反骨心もあった方が良い。
20代で評価されるような早咲きの人が、40歳以降も順調かと言えばそうでもなかったり。
遅咲きでも、息が長かったりもする。
人生という長いスパンで仕事をしていくことを考えると、短距離型と長距離型がいるし、都会で活きる人もいれば地方が向いている人もいる。
はたまた、どういう活動をするのか?など、条件が多すぎて一概には判断できない。
それでも、直感でわかる。こいつはできるやつだと。

自分を取り囲むさまざまな条件の中で、己の特性を生かせる道を選ぶこと。
なかなか難しいかもしれないが、とても大事なことだ。
彼女は、自分を生かせる道を選べているように思う。
これから、その道はどこへ向かっていくのだろうか。