炭坑時代のものが取り壊されていく中、まだそれでも当時を偲ばせる遺構も、
人知れずひっそり残っています。
写真の煙突は三井田川炭鉱伊加利竪坑跡のもの。今ではこの二つの煙突が残るのみです。
ここにあった伊加利竪坑やぐらは昭和44年の閉山後、
大牟田市にあった三井三池炭鉱港沖四山坑へ移設されました。
その港沖四山坑もまた昭和62年12月の閉坑後、間もなくして姿を消しました。
炭坑節だけでなく縁の深い田川と大牟田。
九州を代表する産炭地でした。
炭坑時代のものが取り壊されていく中、まだそれでも当時を偲ばせる遺構も、
人知れずひっそり残っています。
写真の煙突は三井田川炭鉱伊加利竪坑跡のもの。今ではこの二つの煙突が残るのみです。
ここにあった伊加利竪坑やぐらは昭和44年の閉山後、
大牟田市にあった三井三池炭鉱港沖四山坑へ移設されました。
その港沖四山坑もまた昭和62年12月の閉坑後、間もなくして姿を消しました。
炭坑節だけでなく縁の深い田川と大牟田。
九州を代表する産炭地でした。