Issue 2023.12

Issue 2023.12

デザイン塾で制作する、テーマ自由のオリジナル冊子。受講生4名の学びの成果をご紹介。

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2014.6.4

Report: 筑豊レトログラフィ

クリエイティブツアー第13回目は僕の故郷でもある筑豊へ行ってきました。
なぜ、今回筑豊なのかと聞かれるのですが、自分のルーツを知る、向き合うということは大切だと、
クリエイティブツアーをやりだしてから、ほんとによく思うんですね。
正直、僕はこの町が嫌いでした。
これは田舎で生まれ育った人だったら誰でも思う“なんでこんな田舎に生まれたんだろう”という
都会=華やかで、刺激的で、楽しくて、将来性のあるところ、
という一辺倒な都会へのあこがれの裏返し、コンプレックスです。
僕の故郷であるこの筑豊も、昔は炭鉱で栄えてたというけれど、
僕の子供のときにはすでに炭鉱は閉山し、町はさびれていく一方でした。

今思えば、思春期にこのさびれた筑豊で過ごしたことが、その後の僕の人格や思考をつくり
そして、今の職業につながる“何かを生み出したい”という欲求につながったのだなぁと思うのです。
僕のルーツであるこの筑豊を僕自身が振り返ってみたとき、
子供の頃はさびれていることしか目に映らなかったこの筑豊の、もっと深い部分が見えてきたのです。
今の僕があるのは、僕を生んでくれた母がいるからで、それと同じように僕らが今ここにいられるのは
そこに住んで今の町を作ってくれた人たちがいたからなんです。
という、ごく当たり前のことにようやく気づくわけですね、大人になると。

最近の映画で「永遠の0」という映画、みなさん観られましたか?
戦争で亡くなったおじいちゃんのことを孫が調べていくのですが(もっと内容は深いです)
調べていくにつれ、おじいちゃんという人がどんな人で、どんな思いでその時代を生きていたのかという気持ちを知るわけです。
この映画を観たきっかけで、僕も母親がどんな人だったのかと思い出していると
この筑豊という町の思い出が甦ってくるのです。

大人になってようやくコンプレックスであった筑豊の町に対峙し、調べていくと
自分が筑豊という町を、どれだけ知らなかったのかということに気づかされました。
さびれている今の筑豊をみて、「たいした町じゃないよ」と言ってきた自分が恥ずかしくなりました。
当時と比べ今はさびれているかもしれないけれど、この町は日本を作ったんだと誇りに思っていいほど、素晴らしい町だったんだと。
と同時に、僕を含め筑豊に住む人たちは、そういう“誇り”を失いかけているんじゃないかとも思いました。

前置きが長くなりましたが、今回の「筑豊レトログラフィ」は、
そんな失いかけている“町の誇りを伝える”旅にしたいと思ったのです。

ではでは、当日の様子をレポートいたします。

今回のツアーは8時に天神集合。僕らのツアーはだいたい7時半に出発なのでちょっと遅めです。
今回は同じ郷土出身で書家・MC・プランナーとマルチな活躍をされている青木美香さんと
最近では「パン博」の仕掛人として郷土の活性化やPR活動をされている川崎町観光協会の山本剛司さんにご協力いただき、
当日のガイドまでご同行いただきました。すごく長い時間企画から関わっていただいて、ほんとに感謝です。

筑豊レトログラフィ

創作書家・青木香玉として活動されている青木さん、美人です。

まずは最初の見学ポイント、住友忠隈炭砿ボタ山へ。
ボタとは炭鉱で掘り出された石炭以外の石や岩などの総称のことで、それを高く円錐形に積み上げたのがボタ山です。
炭鉱全盛期の筑豊には約300ものボタ山がそびえ、筑豊の象徴でもありました。
しかし、閉山後は多くが切り崩され、現在ではほとんど姿を消してしまいました。

今回このボタ山のアテンドをしてくださったのは、青木さんのお知り合いで文筆家の上野朱(あかし)さん。
朱さんは、筑豊の中小炭鉱に生きる人々の生き様を記録し続けた上野英信さん(1923–1987・山口県出身の記録文学作家)の息子さん。
ふだん立ち入ることができないボタ山を、当時のことを振り返りながら案内してくださいました。

筑豊レトログラフィ/文筆家の上野朱(あかし)さん 筑豊レトログラフィ/文筆家の上野朱(あかし)さん 筑豊レトログラフィ/文筆家の上野朱(あかし)さん 筑豊レトログラフィ/文筆家の上野朱(あかし)さん

しかし…。このボタ山きついです!傾斜角30度で一直線に登っていきます。
今はもう植物が自生していて、ここがボタ山だったとは言われないと気がつかないでしょう。
参加者のみなさん、息も切れ切れ。片道約20分ほどで頂上へ。
頂上は360度ぐるりと視界の開けた素晴らしい眺めです。
今ではほとんどのボタ山は姿を消していて、このような大きなボタ山は希少です。

筑豊レトログラフィ/ボタ山 筑豊レトログラフィ/ボタ山

爽快な眺め!頂上は20人が立てるくらいの広さです。

筑豊レトログラフィ/ボタ山 筑豊レトログラフィ/ボタ山

ボタ山にはこのような石炭がゴロゴロしています。

ボタ山から降りると朱さんが、何枚かの絵を見せてくれました。

筑豊レトログラフィ/山本作兵衛さんの炭坑画 筑豊レトログラフィ/山本作兵衛さんの炭坑画

この絵!なんと、山本作兵衛さんの原画でした!
山本作兵衛さんの炭坑画は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の認定する「世界記憶遺産」に国内第1号として
2011(平成23)年5月に登録されました。
見せていただいた絵の中には、作兵衛さんが朱さんに描いてくれたものもありました。

筑豊レトログラフィ/山本作兵衛さんの炭坑画

朱さんに描いてくれたという絵。機関車を描いてほしいと頼んだら、機関車よりも車掌さんをメインに描かれていたという。
炭坑で働く人たちを描いた作兵衛さんらしいとおっしゃっていました。確かに!

作兵衛さんの炭坑画についてもっと紹介したいのですが、あまりに長くなるのでパスして次へ。
朱さん、ありがとうございました!この場を借りて、あらためて御礼申し上げます!

次に向かったのは、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で登場している柳原白蓮が暮らしていた旧伊藤伝右衛門邸です。
ドラマで人気なのか、日曜ということもあり、ものすごい人!ゆっくり観れずに残念でした。
ここは平日に来た方がいいですね。下見の時はゆっくり観ることができたのですが、みなさん、すみませんでした。

筑豊レトログラフィ/旧伊藤伝右衛門邸 筑豊レトログラフィ/旧伊藤伝右衛門邸 筑豊レトログラフィ/旧伊藤伝右衛門邸

旧伊藤伝右衛門邸を後にして、いよいよ筑豊〜田川へ。僕の育った町です。
田川に入り、まずは六坑の炭鉱住宅へ。(こちらはツアー予告ページをご覧ください)今なお現存する炭鉱住宅です。
僕が子供の頃はこのような炭鉱住宅はごろごろしていたのですが、今ではすっかりなくなってしまいました。

そろそろお昼時ということもあり、お腹がぺこぺこ。
お昼は田川のソウルフード(勝手につけています)ということで「山賊鍋」へ。
その道すがら筑豊炭鉱の遺構、旧三井田川鉱業所・伊加利竪坑の2本煙突を見学しました。

筑豊レトログラフィ/旧三井田川鉱業所・伊加利竪坑 筑豊レトログラフィ/旧三井田川鉱業所・伊加利竪坑

僕らのツアーでは毎回ツアーの見学地についての冊子を制作して配付しています。
これは70ページに及ぶもので、僕らがなぜ今回このツアーを企画したのかということや
ツアーの見学場所の説明を詳細にまとめています。(写真も大変好評をいただいています^^)
ここにかなり細かくこの場所のことを記載していますので、レポートでは場所の詳しい説明を割愛させていただきます。
(すみません、みなさんぜひツアーに参加してみてください。^^)

筑豊レトログラフィ 筑豊レトログラフィ

いよいよお昼ごはん。山賊鍋です。
田川に住んでいる人だったら一度は食べたことがあるほど、超有名な食べ物です。もちろんおいしいです!
まだ一度も食べたことがない人は、ぜひ!

筑豊レトログラフィ/山賊鍋

豪快な盛りつけ。1人前で4人は食べれる!なぜ、1人前なんだ?

筑豊レトログラフィ/山賊鍋

その後、石炭記念公園と田川市石炭・歴史博物館へ。
ここでは、名物ガイドの原田さんに歌も交えて当時の暮らしをご説明いただきました。
「たった30分じゃ足りないよ」と言われましたが、駆け足で館内を回りながら、それでも歌も絶妙に織り交ぜるという
まさにプロフェッショナルなガイドを見せていただき、別の意味でも勉強になりました。

筑豊レトログラフィ/田川市石炭・歴史博物館 筑豊レトログラフィ/田川市石炭・歴史博物館 筑豊レトログラフィ/田川市石炭・歴史博物館 筑豊レトログラフィ/田川市石炭・歴史博物館

博物館を出ると次の見学場所である「川渡り神幸祭」へ。
今回はまたまた特別に川渡り神幸祭を間近に観れるプレス席をご用意いただきました。
報道関係の方でほぼ埋まるこのスペシャルな特別席をご準備してくださったのは、“小田のおいさん”こと小田弘さん。
今回は参加者全員に田川のお土産として「英彦山がらがら」もくださいました。ありがとうございました!

筑豊レトログラフィ

小田さんが白鳥町の法被を着ていたので、僕も中学校まで白鳥町に住んでいたと言うと
「おー、知っちょう、知っちょう、あの石川やろ」とのこと。
僕ら家族が住んでいたことを覚えていたんですね、びっくりしました。もう30年以上も前のことなのに。
その小田さんに連れられ、川渡り神幸祭へ。

筑豊レトログラフィ/川渡り神幸祭 筑豊レトログラフィ/川渡り神幸祭 筑豊レトログラフィ/川渡り神幸祭 筑豊レトログラフィ/川渡り神幸祭

この川渡り神幸祭を観てもらいたくてこの日にしたくらい、今回のツアーでは絶対見てほしいものでした。
僕の田川の記憶の中でも一番強烈に残っているのがこの川渡り神幸祭なのです。
普段活気のないこの町に唯一活気がともるこのお祭り。当時とても楽しみでした。
露店の数も僕が子供の頃に比べると少なくなりましたが、それでもまだまだ賑やかなお祭りでした。
とても懐かしくなりました。小田さん、ありがとうございました!

川渡り神幸祭を1時間ほど見学し、次は船尾鉱山へ。
こちらでは工場の外観を見て、船尾から電車にて次の駅の筑前庄内に向かいました。
ここの区間は船尾鉱山の中を走るので、普段入ることのできない鉱山の様子をかいま見ることができる面白い区間なのです。
あっという間に過ぎてしまうので、「え、どこ?」「何があった?」という感じでしたね。^^;;

筑豊レトログラフィ/船尾鉱山 筑豊レトログラフィ/船尾鉱山 筑豊レトログラフィ/船尾鉱山

それでは最後の見学地、旧志免鉱業所竪坑櫓へ。
当時の金額で200万円(現在の貨幣価値で40億円程度)を投じて造られたというこの竪坑櫓。
鉄筋コンクリート造で高さは47.65m。直下には地下430mまで掘られた竪坑があります。
現存する国内最大級の竪坑櫓として国の重要文化財に指定されています。
まさに圧巻の存在感です!
現存する同型の櫓は、他にベルギーと中国の2基のみ。世界的にも重要な遺産になっています。

筑豊レトログラフィ/旧志免鉱業所竪坑櫓 筑豊レトログラフィ/旧志免鉱業所竪坑櫓

今回のツアーのテーマは“街の歴史を語り継ぐこと”でした。
日本の歴史のなかで翻弄され、光と影を見てきた筑豊。
私たちがご案内したものは、その長い筑豊の歴史のごく一部でしかなく
ここに暮らした人たちの思いをわずかばかり代弁したにすぎません。
しかし、その歴史の一端でも、みなさんにお伝えできたのなら嬉しく思います。

クリエイティブツアーの目的の一つは、クリエイティブな視点で街の魅力を顕在化すること。
街の記憶をたどり理解を深めていくことで、今の自分との接点に気がつきます。
そして、人の記憶をたどることもまたクリエイティブな手法ではないかと思います。
今ツアーではたくさんの方々にご協力をいただき、貴重な昔の写真の提供をはじめとして
様々な人たちの「記録・記憶」を私たちに見せてくださいました。
それらを自分にあてはめてみることで、今まで気がつかなかった故郷の魅力が見えてくるのではないでしょうか。

ツアーに参加いただきましたみなさん、ありがとうございました。

企画にご協力をいただきました、青木さん、山本さん、上野朱さん、小田さん、
田川市美術館の佐土嶋さん、カメラマンの長野さん、冊子への写真提供をいただきました写真家の橋本正勝さん、
みなさま、この場を借りてあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。