建築家・井上聡氏による「西新フォトツアーvol.2」のツアーレポート。
その2をお送り致します。
(写真は参加者の皆さんが撮影されたものです。)

11月24日に行った西新フォトツアーvol.2のツアーレポートの続きです。
今回のタイトルは「高取焼味楽窯で出会う西新エリアの今昔」。

前回の西新フォトツアーvol.1は、「勝鷹夢まつり」で賑わう中、いわば非日常の西新商店街で行われましたが、今回のフォトツアーvol.2は、三連休最終日であるものの「いつもの」西新商店街をのんびりと歩くことができました。

まずは前回同様、高取焼味楽窯に足を運びました。
賑わいがやや薄らぐ西新商店街の一番外れにあるとはいえ、地下鉄西新駅からゆっくり歩いても15分程のところにあり、商店街を訪れた方にはぜひ足を運んでもらいたいスポットです。
味楽窯美術館では美しい高取焼を眺めることができ、運が良ければ現当主、15代目味楽さんにお会いすることもできるかもしれません。

ここでは、とても立派な「登り窯」をみることができます。

西新フォトツアーvol.2

このような登り窯は緩やかな傾斜を利用して熱の対流を起こし、窯の中の製品に均一に高温の熱を回すことができるため、江戸時代に出現して以来近代まで窯の主流を占めていたそうです。

西新のような街中になぜこのような窯が!?

と、この登り窯を初めて目にした人は必ず口をそろえてそう言います。もちろん僕も・・・。

市街地には不釣り合いとも思えるこの登り窯の存在は、今では想像するのも難しい西新エリアの大昔の姿を浮かび上がらせます。
そして、一見無関係とも思える商店街とも、実は大いに関係しているのです。

登り窯は、傾斜地に設置されます。
ほぼ平坦な西新商店街から緩やかな坂を登って辿り着く味楽窯からふと南側に目をやると、小高い山があることに気が付きます。

坂を登ってきたという印象はあまり無いのですが、実はすでに小さな山の裾にいるのでした。

西新フォトツアーvol.2

さらに、完成した壊れやすい陶器を各地に運ぶためには、船を用いた運搬が最も適切なため、水辺を選んで場所が定められたのでしょう。

昔の福岡市の海岸線はもっと内陸寄りだったことをみなさんご存知ですか?
西新・高取は今よりもずっと海に近接した場所だったのです。

特に高取焼は、黒田藩御用窯としての発祥と長い歴史を誇り、伝承のプロセスで窯の場所も変遷していきます。
最終的に「享保二年藩主の命に依り朝倉郡小石原より移窯」したわけですが、早良街道や唐津街道、海、そして傾斜地があり良質の土がとれる、交易上非常に便利でかつ製陶に適した自然条件を満たす、この場所に落ち着いたのだと推測されます。

ひょっとするとこの場所は、福岡の街を創った権力者が見つけ出した、歴史的クリエイティブスポットとも呼べる場所なのかもしれませんね。

西新フォトツアーvol.2

しかしこの好条件は、皮肉にも登り窯の寿命を縮めてしまうことになりました。

やはり、良い場所には人が集まるのです。
急速に周囲は市街地化され、現在ではマンションが周囲を取り囲んでいます。
こうした環境では、登り窯が炊く「一般的な木造住宅2軒分を燃やすくらい」の熱量やススは到底受け入れられません。

ですから、「なぜこんな市街地に登り窯が!?」という誰もがいだく最初の印象は、実は逆で、登り窯が設置された場所が、時を経て市街地化されていったのです。

文字通り「無用の長物」となってしまった登り窯は静かに、しかし雄弁に西新エリアの昔の姿を語りかけてくるのでした。

西新フォトツアーvol.2

こうした話は、どこに記されているわけではありません。
学術的に深く調べたら、間違った解釈も含まれているかもしれません。

しかし、「なぜこんなところに窯が残っているのだろう」といった疑問を、現地の人に聞いてみる、スマートフォンなどで調べてみる・・・こうした簡単な作業で、この場所に対する興味や愛着は大きく変わっていきます。
もちろん、カメラを向ける視点も少し変わるのではないでしょうか。

この登り窯は、写真愛好家にとってはとても良い被写体です。
ぜひ足を運び、歴史や場所性に想いを馳せながらシャッターを切ってみてください。

西新フォトツアーvol.2

さて、高取焼味楽窯で当主の15代味楽さんにお話をうかがったりしながらゆっくりと過ごしていたら、あっという間にお昼になってしまいました。

この続きはまた次回・・・。

Posted by:f-d